2017/8/8(火)

どうも、ともひろです。

 

時系列が狂いますが、ノートに書いていた先日の記事です。

 

努力に裏付けされていない自信は、そんなものは虚像だ。それに頼っていては、すぐに現実に押しつぶされる。他人の評価から得る満足や自身もまた同じ。自信は、自分の内から湧き出るものでなくてはならない。

 自分の努力から、経験から、結果から得なければならない。ひたすらに自分に打ち克ち、ひたすらに努力する姿勢というものは、他人の心を打つものだ。そうやって努力を続けていると、他人に評価されるものだ。ただ、その時に満心して豪に乗ってはいけない。そうして、謙虚さを忘れた時、人は走ることをしなくなる。その場所が心地よいからだ。居心地の良い場所なんてこの世のどこにでもある。居心地の良さを味わうことは何も悪くない。ただ、その場所に留まりたいと思ってしまったら終いだ。その場所を守ろうとしたとき、人の成長は止まってしまう。常に変化しなくてないけない。変化をすることで、人は学ぶことができる。ただ、変化は心地よいものではない。今までと違う自分になるのだから当然だ。適応力は才能なんかではない。経験からくるものだ。そもそも、才能などというものはない。才能がある人は、無意識にその物事に強くなるようなライフスタイルを幼い頃から身につけているというだけのことである。時間をかければかけるほど、ものごとを行うことが上手になる。だから、無意識に時間をかける才能がある人には、どうにも勝てないというだけのことである。才能のあるないは、結局そこに行き着く。結局物事の上手下手は、時間の積み重ねの差である。

 

では、また。